社会人 留学日記 その2。 カリフォルニア サンディエゴで学んだ日々、、、課外授業での思わぬ出来事。

12/29 初授業&UTCへ
今日は初授業。ドキドキしながらもクラスへ向かった。
まず最初に感じた事は「みんな英語話してるじゃん…」。私が入ったクラスはIntermediateというクラス(中間あたりらしい)だったが、なんとなく英語を楽に話せている人、考えながら話してる人のスキルの幅が大きくあるように感じた。これが結果的にはとても良いことだと実感でき、私のイメージよりも日本人が圧倒的に少なく(私も含め2/12人)この環境は英語を勉強するにはとても良いことだけは分かった。

授業は、①先生の授業②少人数のディスカッション③ゲームを交えたQ&A④その他、という内容を午前中3時間程度行う。

個人的に感じた事は先生が重要視している事が「聞く・話す、を生徒同士にさせる事」であり、①は少なく、②・③を様々なメンバーで時間をかけて行う。
前述にあったように日本人が少なく生徒の国籍も日本・中国・韓国・ブラジル・サウジアラビア、と多岐に渡り、初めて聞く話、文化の違いもあり、とてもおもしろい。それで自然と友達にもなり易い、正直、先生の教え方もうまいなぁ~と実感した。

午後は個人的にプライベートレッスンをお願いしていたので、その授業を受けた。
約1時間30分、1:1でレッスンをするが、最初に先生が「あなたは何が一番必要なの?何を欲しているの?」と聞いてきて、その他、私のバックグラウンドもヒアリングした上で一緒に授業内容を決めた。
結果的には私が既に仕事をしているという事もあり、アメリカのビジネス誌の各パートを決めてどのような内容が書かれているかディスカッションする事にした。
とてもシンプルだが、1.英語、2.アメリカの経済状態、3.アメリカと日本のビジネス政治の違い、の3つを一緒に勉強できているようでとても有意義だ。

また、1:1という事もあり、分からない事はなんでも聞きやすい。午前中の多数のクラスと午後のプライベートのクラスとの組み合わせはバランスが良いとも感じた。
働いている人であれば、このプランはお勧めだ。

授業の後は、一人でUTCのショッピングセンターに行った。
私は日本の幕張アウトレットに行った事があるが、同じ大きさぐらいかと思う。但し、価格は日本より安い。アメリカ人は安くないと買わないのか?と一人で思いながらブラブラした。私の目当てはアバクロンビー&フィッチ、2009年12月に日本の銀座にも初出店したが、銀座のオープン当事は入場制限の上200mぐらいの列が出来ていた。しかしココは・・・客が6名ぐらいしかいない… しかも安い。私はパーカーを一つ買ったが$50程度、おそらく日本で買うと2倍or3倍ぐらいしちゃうんじゃないかと思った…以前にハワイで同様のメーカーのものを買った事もあるが、その時よりも格段に安いと感じた。
とてもお買い得感を感じながらバスで家に帰った。
ただ、この間も頭の中は「こんな時英語でなんて言うんだろう想定問答」は継続中であった…

12/30 バルーンパレード&Old Town & Down Town & Midway museum(Battle Ship)
この日は、課外授業と称してダウンタウンで開催されるバルーン祭り?(大きなバルーンと人の行進)をスクール全員で見に行く予定であり、午後のレッスンも先生と外でランチでもしながらやろうという予定であった。
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バルーンパレードは、結論から言うと、あまりおもしろくなかった… 周りのアメリカ人の人達はかなり興奮気味で見ているようだったが、個人的には日本の千葉で見た「やっさいもっさい」(祭り名。詳しくは“木更津キャッツアイ”を見てください)の方が何倍も面白かった。やっぱり日本人は日本の祭りが好きなんだなぁと改めて感じた。
あまりにも退屈だと感じたため韓国人の友達と途中で抜けて喫茶店にお茶しに行ってしまった程だ…(これが後に大変な事になる。)
やっと終える時間だと思い11:30頃に皆が見ているエリアに戻ると、既に解散していて誰もいない… 先生と午後の約束をしていたのに… 携帯も知らないのに…
その後、他の生徒が行くと言っていた“リトルイタリー”(小さなイタリア街みたいなとこ)に向かうと、他の生徒に「先生が探していたよ」と言われ、あわてて先生の携帯に電話した、何度か掛けるが20分ほど繋がらず、その後に電話がかかってきた。「もう、どこで何しているの?」あまり怒っていないようだが、英語であまり分からない…そして、先生は「OLD TOWN(ダウンタウンから一駅)でランチをするから合流して」との事、店の名前も聞いていざOLD TOWNに向かい店を探すが店が見当たらない… 何人かに聞くが分からない… サンディエゴのメキシカンショップは単純な英語では無く、読みづらい名前が多く、こんかいもそうだった。(メキシカンではないが、最初にLa Jollaをラホヤと読める人は少ないのでは無いかと思う。)とりあえず、電話をして聞くが電話になると更に英語が聞きづらく、スペルを聞いてもよく分からない。とりあえず20分程探したあと分からないので、また電話した。
すると先生は「じゃー今あなたがいる店で待ってて、ランチでも食べてて」と言ったように思った。そこで私は一人でランチを食べるが40分経ってもまったく現れる気配が無い… おかしいと思い、また電話をすると、「どこなの?」と聞いてくる。まったく訳が分からない… 先生は別の店に入っているようで、店探しを再チャレンジした。しかし、正直店の名前も感覚でしか分かっていない私は見つけられるわけも無く、面倒臭くなってきた事もあり、先生に電話して「今日のレッスンは電話を使ってのコミュニケーションでしたね。これで終わりましょう。」と伝え結局会えずに終了した。(先生にウケたのがせめてもの救いだった。)
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やっと一人自由になった!と思いもう一度ダウンタウンへ戻った。
有名なホートンプラザというめちゃめちゃでかいショッピングセンターを見てみたかったからだ、また、私の友人が建設に携わったという“One America Plaza”というビルも見てみたかった。
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ホートンプラザ&ビルを見て特に大きな感動も無く、ブラブラ歩いていると、どでかい軍用船のようなものが目に入った。近くに行くと人が乗っている。あれ?乗れるの?と思って入口を探すとチケットを買って入る事が出来た。
かなり大きな船で第二次世界大戦にて活躍した船らしい。中をくまなく見ると2時間程度は費やしてしまいそうな大きさだが、日本語用のガイドイヤホンを手に約1時間程度で駆け足で見て回った。
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船のすごさもあるが、一番感慨深かったのが、一枚のパネルである。そのパネルには、第二次世界大戦で打ち落とされた日本の船・飛行機の名前・艦長の名前などが記されていた。もちろん戦艦大和の名前もあった。
ある意味この船は戦争に勝った時の重要な船であり、乗組員はヒーローである。その当事の乗組員の人が数名各ポイントで説明をしていた。なんとなく、誇らしげに話しているようにも感じた。日本内で原爆資料館などを見た時の感覚・アメリカで見る誇らしげな人、でも結果的には両国の多数の人が亡くなったという事実、なんとなく微妙な感じがした。
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今まで戦争を感じた事が少なく、日本内から見ている“目”しかなかったが初めて外から日本の戦争を少し見れた気がした。
それと同時に両方の目線から戦争というものを再度見てみることは将来のために重要な事だと実感した日だった。

しかし、この日はとても疲れた。家に帰って速攻で寝た。

続く、、、、

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